![]() |
|
| |和書| 音楽| ビデオ| DVD| ゲーム| 家電| おもちゃ| PC用ソフト| キッチン用品| 時計| スポーツ| 美容| 赤ちゃん| | |
|
価格:¥ 760 ブランド:中央公論新社 発売日:1997-01 通常24時間以内に発送 大きい画像を表示 |
|
|
著者は以前猫を飼っていたが、そのころはそれほど猫に魅かれるということはなかったようです。しかし、野良猫の子のノラを飼うようになると情愛が深まり、ノラが失踪すると哀惜の情やみがたく、新聞の折込広告(英字紙にまで)や警察署への捜索願など、八方手を尽くしましたが…
「家内がお勝手でノラを抱いて、『いい子だ、いい子だ、ノラちやんは』と歌ふ様に云ひながらそこいらを歩き廻ると、ノラは全く合点の行かぬ顔をして抱かれてゐた。その様子の可愛さ。思ひ出せば矢張り堪らない」
感銘深い一節です。人は猫と出会うことによって、真の自己を見出すことができるのかもしれません。猫を飼ったことのない人は、まだ自分自身の本当の内面をのぞいてみたことがない…かも。
以前、内田百鬼園の年表を見た際、いつノラを飼いだして、ノラが失踪したかということがきちんと書いてあって笑ったことがある。(ノラ失踪後の百鬼園の悲しみぶりは、黒澤明が映画「まあだだよ」でもメイン・エピソードとして描いている。役者もそっくりなので、見てない方は一度どうぞ。)
僕にとっての百鬼園の随筆の魅力は、彼の人生の大部分を覆った借金苦や東京大空襲で焼き出された後の小屋住まいなど、決して順調に進んだ訳ではない日々の生活を、飄々と持ち前のユーモアでやり過ごしていくエピソードの数々にある。その分厚いユーモアの奥底には、何か得たいの知れない達観やシブトサさえ感じられるのだ。同時代の文学者が必ず書いた「女との恋愛」ではなく「猫への溺愛」を描く。東京大空襲には単に見物根性で最後まで付き合い、その見物記を本に纏める。(そこには戦後突然現れた反戦文学の要素など全く無い。)
薄っぺらいヒューマニズムやロマンチシズムとは次元の違うその感性は、全く不良ぶってはいないのに、実は徹底的に「無頼」ですらある。(この本の解説で、吉田茂(!)と犬猫談義をやった際の話が紹介されるが、そのエピソードからは彼のドライな人間観が読み取れる。)でも、出来上がった随筆は非常に軽妙で、温かな「天然」の味が心地よい。そこが、僕に取っての彼の文章の魅力である。
この随筆集はそんな彼が齢70を過ぎて溺愛した二匹の猫に対する思いを綴ったものであり、猫を失ってからの慟哭を綴ったものだ。
「ノラや」
「ノラやノラや」
「ノラに降る村しぐれ」
「ノラ未だ帰らず」
タイトルを見るだけで、彼の猫に対する愛が伝わると思う。ノラとクルを巡るエピソードは百鬼園という不思議な文学者の一面しか見せてくれないはずなのだが、確かにその一面だけでも十分魅力的だ。読んだことのない方は、この本をきっかけに、是非他の文章も読んでみてください。
今まで読んだ本の中で一番泣けました。
出勤中の電車の中で読んでいたのですが、涙を抑えるのに必死でした。
少し文章が難しく、動物に興味がない人にはわからない気持ちかもしれませんが・・・。
泣かない夫も泣いたそうです。
その設定だけで泣けますが、それを見事な文学に昇華させました。
しかも、いつものちょっとひねくれたかんじもなく、素直に、ご自分がうろたえるさまを表しています。
それがまた、涙を誘います。
いつのまにか一緒に暮らし始めた猫(ノラ)が、ある日突然消えてしまった。
そのたったひとつの出来事が、いかに大きな悲しみを生み、今日を変えてしまうか。
何をしていても、何処にいても、些細なきっかけで思い出し、涙が出る。
その繰り返しが延々と綴られています。
そしてその悲しみを癒すために現れたようなもう一匹の猫(クル)。
「ただ一つの心遣りは、帰つてこなくなったノラと違つて、してやり度いだけの事はみんなしてやつた。クルがしたがつた事はみなさせてやつた。」
この一節を読むだけでも、作者がどんなに真剣な愛情を注いだか想像できると思います。
「ノラや」「クルや」と呼びかける作者の声が聞こえてくる一冊。








