![]() |
|
| |和書| 音楽| ビデオ| DVD| ゲーム| 家電| おもちゃ| PC用ソフト| キッチン用品| 時計| スポーツ| 美容| 赤ちゃん| | |
|
価格:¥ 800 ブランド:早川書房 発売日:2008-08-22 通常24時間以内に発送 大きい画像を表示 |
|
|
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) |
日の名残り (ハヤカワepi文庫) |
充たされざる者 (ハヤカワepi文庫) |
浮世の画家 (ハヤカワepi文庫) |
サーカスの息子〈下〉 (新潮文庫) |
『タイム』誌の「オールタイムベスト100」(1923-2005年発表の作品が対象)に選ばれ、柴田元幸氏によれば彼の「最高傑作」ということなのだが、私としてはどうしてもうまく小説の中に入り込めなかった。翻訳の大家の判断を前にして言うのは気が引けるが、とても正直に言うと、駄作ではないが、決していい作品でも成功した作品でもないと思う。
物語は1990年台のイギリスを舞台に、臓器提供のために生み出されたクローン人間(彼らは「提供者」と呼ばれ、提供者になる前は彼らの世話をする「介護者」を経験する)によって展開される。主人公で語り手のキャシーと、ルーシー、トミーは世間から隔離された施設ヘールシャムで育てられ、やがて介護者として外の世界に巣立っていく。キャシーは介護者として優秀で、ルーシーの介護者をし、彼女が臓器提供で世を去る(「使命を終える」)と、トミーの介護者となる。この段階で、二人は愛し合っていたことを確認し(その愛はルーシーがトミーの相手だったためそれまで実現していなかった)、提供を猶予される期間を申請しようと責任者と思しき「マダム」を訪ねるのだが、すべては根も葉もない噂であり、提供者は決められたとおりに「使命を終える」以外にないことをヘールシャムの責任者エミリ先生から伝えられる。トミーもやがて使命を終え、キャシーも介護者生活を終え、提供者となる。――とても大雑把に要約するとこんな物語である。
小説の第1部と第2部はヘールシャムとそこをでて介護者となるまでのコテージ時代に当てらているが、生理的に不愉快だったのが、その語りの文体と、生徒の一挙手一投足や噂をめぐる学園ドラマ調の物語展開である。「ルースががっかりして帰途に着くことなど誰も望んでいません。あの瞬間、これで安全だと誰もが思いました。そして、すべてがあそこで終わっていれば、確かにわたしたちは安全だったのです」とか、「このときは目をつぶりました。先輩たちに混じっている場で忘れた振りをするのは、百歩譲って、よしとしましょう。でも、わたしたち二人だけのとき、しかも真面目な話し合いの最中にやられたのでは、さすがに我慢できませんでした」といった文体とレトリックと内容。これは一体何なのか? イシグロ自身の文体と、訳者の文体(訳文自体はとても読みやすいのだが)の共同責任といったところだろうが、安手のおとぎ話を読まされているようで寒気がしてきた。
本書の内容は、遺伝子工学と臓器移植の問題を背景にしている。政府はクローン人間の製造とその臓器提供を法制化しており、すべては合法、キャシーたちは「提供者」としての運命を甘受して死んでいくしかない。気になるのは、この小説では、臓器移植やクローン人間の倫理的な問題が扱われているようで、じつはまったく扱われていないということである。すべては所与としてあり、描かれているのは、それを甘受する何人かの人間の姿だけだ。「抵抗」や「反乱」の可能性はない。そして、避けがたく過酷な運命を前にした人間の姿ほど人を容易に感動させるものはない。その意味で、本書はきわめて安易であるともに、本質的な問題はすべて避けられてしまっている。
たとえば、生殖機能を持たないクローン人間を安定して作る技術があれば、今日話題になっているような再生医療が可能になっている可能性はかなり考えられる。またこれほど大々的な臓器移植が行われているからには免疫の操作に関する飛躍的な技術革新があるはずだが、そうした免疫技術は当然癌治療に新しい道を開くはずで、その場合、倫理的に言ってもきわめて問題のある本書のような政策が行われるのか、きわめて疑問といわざるえない。結局、本書はできの悪いSFといった趣きがあり、「本当らしさ」の設定が正確に行われていないのである。
言いかえるなら、本書における臓器移植やクローン人間は結局「意匠」にすぎない。戦争のような避けがたい運命における人間の運命といったものでも、同じ物語を語ることができてしまうだろう(彼らはいわば出征する兵士である)。そうした個別的な経験の質のようなものを捉え損ねているところが、本書の最大の欠点であり、それは、本書が臓器移植がクローン人間の問題についてきちんと突っ込んで描いていないことに起因しているように思われる。しかし、優れた小説とは、何物にも変えがたい(と思わせる)リアリティを読者に伝えられなければならないもののはずである。
どこかミステリアスに描かれていて、読むに連れてこの小説の中の世界が段々と見えてくるようになっています。
それは私達の住む世界と異なる世界ですが、同時にその世界は私達の世界に重ねられるべきものであり、登場人物達は私達と同じ側面を持つのだと思います。形式はSF的でありながらも、彼らの姿は何よりも現実感を持って訴えかけられるものがありました。
これは登場人物達が、(極端に言えば私達と同じように)限られていて、抜け出せない現実があり、でもその中に何かを見出し、また受け入れようとしているからこそではないでしょうか。
彼らは決して諦めているのではなく、投げ出しているのでもなく、たしかに生きています。自分ではどうにもならないその運命、その社会と平行して自分の生を紡ごうとしているのです。
そしてこの小説を支えるひとつに文章の良さあると思います。描写や洞察力が素晴らしいのです。
静かに誠実に抑制の効いたそれは、この登場人物達を表すのにぴったりと重なります。
そうして描かれるエピソード群は細密でリアルな人間の営みであり、社会の光景ともいえるでしょう。(もしかしたら現実でも意識出来ないくらいに)人間の息づかいのひとつひとつまでが伝わってきます。
そしてやはりラストシーンにかけての姿は本当に、本当に痛切なるもので、まさに胸がいっぱいになり言葉を失ってしまいました。やりきれない哀しみとまた苦しみを抱かずにはいられません。夢のあとが切なくて、なのにまるで美しいまでのものがあり、もうたまらなくなってしまいます。大袈裟ではなく、読み終わってもずっと何かヒリヒリしたまま、何も出来ないでいたほどでした。
今思い出しても、自分が何かを感じてるのがよくわかります。凄く「残る」作品だと思います。
非常に抑制された静かな語りですね。語り手キャシーの豊かで温かい感性が、幼い頃のヘールシャムでの生活から、その後の日々を生き生きと語っています。人と人との交流がとてもリアルで、穏やかです。その日常の中に、ちらりちらりと謎めいたものが示されますが、決してあざとすぎることもなく、自然にひきこまれていきました。
このキャシーの豊かな感性そのものも、作品の中核に繋がるものなのだなと気づかされました。作中での「感性豊かな絵画作品」と同様のポジションなのではないでしょうか。
非常に特殊な設定の物語ですが、ここに描かれている「抑圧するもの」「利用されるもの」「差別的感情」「死生観」などなどは、普遍性を持っていると思います。
単行本が出版された時から、気になっていたのですが、本の重さとたぶん内容も重いのではないかと考えて、手が出ませんでした。今回、文庫になったので、いつか読むつもりで購入しました。実際、読み始めは頭の中に、様々な疑問と「もしかしたら?」という恐ろしい予測が渦巻いて一章ずつ辛抱して読み進めるのがやっとでした。第一部の後半、「やはりそういうことだったのか」ということが分かってからは、次の展開が知りたくてどんどん読みすすんでいきました。
第三部に入ってから読了までは、読むことを止められず、悲しいとか感動したとかそういった感情の動きが一切なかったにも関わらず、自分の眼から涙があふれて頬をつたっていくという初めての経験をしました。読み終わった後、もう一度、苦労して読んでいた第一部を読むと、そこには結末を知ったからこそわかる精緻な表現があり、作者の構成力に感嘆しました。
柴田元幸さんの解説に「作家が想像力のなかにとことん沈潜したその徹底ぶりによって、これまでのどの作品をも超えた鬼気迫る凄味と、逆説的な普遍性をこの小説は獲得している」とありますが、そのとおりだと思います。「この世に生を受けることの意味」と「おそらく罪悪感から生じるであろう中途半端な正義、あるいは理想主義の、残酷」を深く深く考えさせられた作品でした。
この物語の特異な輪郭が見えて来たとき、
つき合う価値があるかなという不安がアタマをよぎった。
作者の勝手な空想につき合わされ、
ぐるぐる引き回されて、最後は元の場所、というような。
活字好きな僕は別にそれでもよかった、本が読めれば。
でも読んだあと何も残らない
というような読書体験はできれば避けたい。
果たしてそれは杞憂だった。
特異な設定の主人公と共に遠くまで旅をした。
その主人公の切実さに共感した。
自分自身の切実さに通じていると錯覚(?)すらさせられた
不安を燃料にした車に揺られ、うとうとと夢を見ながらずいぶん遠くまで来た。
多分ノーフォークあたりまで・・・。
今、本を閉じ、車は僕を乗せずに行ってしまった。
でも、今も、同じ車に乗っているような感覚が拭えない。
少し遠くまで来すぎたみたいだ。
一人の帰り道は長くて寂しいものになりそうだ。








