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価格:¥ 2,940 ブランド:紀伊國屋書店 発売日:2006-05-01 通常24時間以内に発送 大きい画像を表示 |
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30年経っても色あせない科学書は大変珍しい。本書の出版と同時に「科学者はどのようにして私たちの考え方を変えたか?」というドーキンスをテーマにした26人の科学者によるエッセイ集が出版されたが、そのことからも本書の影響力の大きさが伺える。
本書はしばしば時代遅れだ、古すぎるなどと批判される。確かに本書を読んだだけで進化生物学を理解したと考えるのは間違っているが、本書が時代遅れだという批判も同じくらい間違っている。というのも、本書が紹介している自然選択のメカニズム、種の保存論の誤り、血縁選択、互恵的利他主義、ESSと言った概念は現代的な進化生物学の中核をなしているためだ。現代的な理論物理学を学ぶにはニュートン力学の理解を避けて通れない。ニュートン力学が時代遅れだ(から学ぶ必要はない)などという批判が馬鹿げているのと同じように、進化生物学でそれらの概念が生き続けている限り、本書も素晴らしい入門書、概説書として生き続けるはずだ。
また本書は科学書であるだけでない。著者にはそのつもりはないかも知れないが、結果として哲学的な問いかけも行っている。生物の存在や進化に究極的な意図や目的はないこと、種の保存のためという論理はかなり大きく誤っていること、家族をいとおしいと思ったり手助けをしたくなる感情は当たり前なことではなくて、説明が必要な(そして説明されている)自然現象だと言うことなどだ。非生物学者の読者にとっても、決して答えが見つからないだろうと思われがちな深遠な疑問や、疑問にすら感じないような当たり前のことを、論理的に深く考えるきっかけを与えてくれるだろう。
遺伝子こそが生命の主体であることを示したあまりにも有名な生物学の古典。タイトルを見ただけで反感を持つ人も多いだろうが、神のみならず心をも生物の主体から引きずり下ろし、大きな生物学的パラダイムの転換をもたらした聖典である。
ビッグバンで生まれた素粒子が、原子となり、分子となり、、、ある時、自己を複製する形態となり、遺伝子として自然淘汰を繰り返し、時空を超えて私たちの中にも受け継がれてくる。。。もし、遺伝子が生き残るために、私たち人間を乗り物として進化させたのならば、、、私たちを生かすために感情を発展させ、思考を発展させたのならば、、、もし脳のクオリアが、その結果であるとするならば、、、、、環境破壊や世界規模の戦争の危機に、生き残るために、次にどのような進化を起こすのでしょう。。。もし遺伝子が利己的であり、そして賢ければ、全世界が滅んで遺伝子自体が消滅しないために、生き残るために、環境破壊や世界規模の戦争や紛争をとめることもあるのでしょうか?
心身二元論者であり、かつ唯脳論者でもある私にとって、とっても深いインスピレーションを与えてくれた一冊です。もちろん私の脳はドーキンスのミームに感染してます。。。
本書は、30年前の出版され社会的に大きな反響を巻き起こしたが、今や古典的名著といっても過言ではあるまい。学生時代に本書を読んで大きな衝撃を受けたというひとも多い。そうしたひとりである友人に強く勧められたのが本書を手にしたきっかけである。
そもそもダーウィンの自然淘汰論も大きな社会的反響を呼び起こし、経済学や社会学などの発展にも大きな影響を与えた。その自然淘汰論が定着する過程でいくつかの論理的矛盾も疑問として浮上してきた。頻繁に観察される利他的、自己犠牲的な個体行動が「種の保存」「弱肉強食」という論理と矛盾するからである。著者を代表とする生物学者たちは、それまでの(自分を犠牲にしてグループ全体に奉仕するという)群淘汰という考え方を俗論として退け、生物個体は遺伝子の運搬手段という「生物機械論」を唱え、個別の遺伝子の自己複製の最大化ということこそ淘汰のメカニズムと説いた。
こうした考えは、生物を機械に例え、遺伝子(生殖)が利己的意思を持つという例示への誤解とともに強い抵抗感を持たれた。一方で、その推論は、統計学的なシミュレーションやゲーム理論を駆使した斬新なものだったし、「自己犠牲」「全体奉仕」という古臭い社会倫理に心地よい論理をくつがえすものだったから、若い世代からは強い共感と支持を得たに違いない。
30年経った今読んでみても斬新な考え方であり、個体の意志的行動にとらわれた考えかたがいかに錯覚であるかがよく理解できる。生物学の分野ばかりでなく、市場主義的な経済理論や種々の社会的規制や経済制度設計をめぐってもその考え方や手法がもたらすものは今日的な意義が大きい。
自然淘汰は遺伝子のレベルで行われていることを論証し、それによってこれまで説明がつかなかった利他的行為に説明を与えた本。
ただ注意が必要なのは、自然淘汰というのは「自らが生き残ろうとして主体的に子孫を多く残す」のではなく、「子孫を多く残すものが増えてしまった」だけである。
遺伝子もミームも、それ自身が主体的に「生き残ろう」としていたわけではない。
数学的に遺伝子の自然淘汰を書くと以下のようになるだろう。
ある遺伝子(A)の最初の個数をa、別の遺伝子(B)の最初の個数をbとする(遺伝子はこれしかないものと仮定する)
また、Aが次世代に残す遺伝子の個数の期待値をp、Bが次世代に残す遺伝子の個数の期待値をqとする。
すると、n世代後の、全遺伝子中にAが占める割合はap^n/(ap^n+bq^n)である。
p>qであるならば、nが十分大きいとき、ap^n/(ap^n+bq^n)=1 つまり全遺伝子がAになっているということだ。
逆にp<qであるならば、nが十分大きいとき、ap^n/(ap^n+bq^n)=0 つまりAはいなくなるということだ。
利他的行動は、少し単純化して以下のように考えることにしよう。
ある遺伝子(A)の最初の個数をa、別の遺伝子(B)の最初の個数をbとする(遺伝子はこれしかないものと仮定する)
A,Bともに、次世代に残す遺伝子の個数の期待値をrとする。
ただ、確率kで遺伝子3個が死ぬ事態が発生する。
そして、Aは上記事態が発生したとき、確率zで自己犠牲行動をとり、その遺伝子3個を助けるとしよう。(Bはいっさい自己犠牲行動をとらない)
このとき、1世代後の、Aの個数はa(rー3rk(1−z)ーrkz)=ar(1−3k+2kz)
Bの個体数はb(r−3rk)=br(1−3k)
よって、n世代後のAの占める割合はa(r−3rk+2rkz)^n/{a(r−3rk+2rkz)^n+b(r−3rk)^n}
r(1−3k+2kz)>r(1−3k)より、この値はnが十分大きいとき1。つまり全遺伝子がAになる。
よって、利他的行動は遺伝子レベルで見れば利己的である。
繰り返しになるが、遺伝子が作用するのは統計的に見てであり、個別の個体の行動を完全に左右してしまうわけではない。
実際、ドーキンスは「一方で遺伝子は人間の行動に統計的な影響力を行使すると考え、しかし他方で、その影響力を他の影響力によって変形させたり、克服したり、あるいは逆転したりできると信ずることは完璧に可能である」と述べている。
しかし、そう考えるとタイトルの『利己的な遺伝子』というのはミスリーディングだろう。
そこら辺に注意して読んでいただきたい。










